ハーブの歴史(古代Ⅱ) 紀元前1800年~1400年

エジプト人とハーブ

スフィンクスとピラミッド古代、香料類を消費した最初の人々は、僧侶たちでした。僧侶は最初の調香師であり、最初の芳香療法家です。

香料の使用が一般的になっていくに連れて、医師もこれを使うようになりました。

前記のそれぞれの処方は、芳香性のガム類の特質に人々がよく通じていたこと、そしてまた、そうした物質がすでにしばらくの間用いられていたことを示唆しています。

スフィンクスギザにあるスフィンクスの基部には、トゥトモス王(紀元前1425~1408年)がこの獅子身の神に薫香と神酒を奉献した旨を記した花崗岩の板があります。

この当時、香料類は薬品にも、また化粧品の調製にも広く使用されていました。

紀元前1580年ごろにはじまった第十八王朝期は、エジプトの国富が貿易量が富に増大し、国力が著しく伸張した時代でした。文学・芸術・絵画及び彫刻が栄え、またこのとき香料についての知識も非常に深まりました

この第十八王朝時代に続く1500年の間に、エジプト人は香料や芳香物質の医療上の特質についての知識と、香膏と油の製造についての知識を完璧なものにしました。

スパイス類ただ、薬品と香料とは必ずしもはっきり区別されず、一つのものが療法の目的で用いられることもよくありました。

調製した薬品や香料は、雪花石膏やメノウ、ガラス、その他の硬質の物質で作ったかめやびん、つぼ、あるいは木や象牙を刻んでこしらえた箱に収めて保存されました。

香料として使われたものには、没薬・乳香・シダーウッド・オレガノ・ビターアーモンド・カンショウ・ヘンナ・ジェニパー・コリアンダー・ショウブ、その他多くのこの土地の植物が含まれていました。

その後、次第にガム類とスパイス類の大規模な国際貿易が行われるようになりました。

スパイス「ラー」という名前で礼拝された太陽神の都であるヘリオポリスでは、一日に3度、香が炊かれました。

すなわち、日の出の時には「樹脂」が、正午には没薬が、また日没時には「クピ」または「キピ」と呼ばれる16種の成分を混合したものがそれぞれ炊かれたのです。

古代エジプト人が、ミイラを作る過程で「シダーウッド油」を使用していたことは、広く記録に残されています。

これは、木材を圧搾して抽出した純粋なエッセンスだった可能性が一番高いのですが、エジプト人が原始的な形の蒸留を行ったという説もあり、エジプトの墳墓から発見されたつぼがこの説を傍証しているようにも思われます。

エジプト出土品もしこれが本当だとすると、アラビア人が蒸留法を発明したとされる時代より少なくとも2000年以前に、エジプトですでに蒸留法が知られていたことになります。

なお、その他のエジプトの油の大半、ならびにギリシャ・ローマ時代の油は、すべて芳香のある薬草とガムを不揮発性油(ヒマシ油)に入れた浸剤でした。

ハーブとミイラ

ツタンカーメン黄金のマスク(レプリカ)この時代に香料を用いていた民族は、エジプト人だけではありません。

紀元前約1800年にさかのぼるバビロンの粘土板には、輸入物のシダー油、没薬、およびイトスギの注文書が記載されていました。

このことから考えますと、シダーウッドからの搾油の知識ならびに香料類の国際貿易は4000年以上も前まで遡ることになります。

シダーウッドの油はバビロンでもエジプトでも高価で、もっとも値段の張る化粧品類にはすべてシダーウッド油が成分として加えられました。

また、このシダーウッド油をパピルスに塗って、パピルスを虫食いから防ぐことも行われました。

ミイラ制作のときに、没薬やシダーウッドの油その他の香料が使用されたことは、こうした香料に防腐力があることを十分に証明しています。

エジプトのミイラ一番よく保存されているミイラは、ガムとスパイス類で完全に防腐処理したものでした。

このことから、ガムを若返り剤として肌の若々しさを保つために使う習慣も生まれています。

エジプトでは、宗教の儀式と葬儀のための香料の消費量は大変なものでしたが、化粧の目的で使用される香料類の量もそれに劣りませんでした

香料の使用法で人気のあったやり方の一つで、ことにエジプト人がもっとも好んだ方法は、頭の上に円錐形の固形の香膏を載せるやり方です。こうすると、ゆっくりと香膏が溶けていって頭と体を香りで包むのです。

古代エジプト(紀元前3,000~30年) 主な都市:メンフィス、テーベ

ピラミッドやスフィンクスに代表される巨石文明で、「ファラオ」と呼ばれる王が統治していました。

ヒエログリフ (hieroglyph, 聖刻文字、神聖文字) と呼ばれる象形文字を使っていましたが、19世紀にフランスのシャンポリオンがロゼッタ・ストーンを解読したことでようやく読めるようになりました。

古代エジプトでは、ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から、天文観測が行われ太陽暦が作られました。農耕が盛んで、幾何学と測量も発展しています。紀元前3,000年ごろから始まり、プトレマイオス朝が滅亡してローマ帝国の支配下に入る紀元前30年まで、繁栄が続きました。

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