1931年ごろ、フランスの化学者ルネ=モーリス・ガットフォセは、『アロマテラピー(芳香療法)』という言葉を作りました。
ガットフォセは、実験中にやけどを負ってしまうのですが、たまたま近くにあったラベンダー精油をかけたところやけどが急速に治癒したことから、精油の治療効果に対する研究を行うようになりました。
ガットフォセがつくった『アロマテラピー』という言葉がはじめて登場するのは、たぶんガットフォセが書いた次の一文ではないかと思います。
ガットフォセはここで、自然の物質は、全体的な、純粋な形で使うべきであるという自然療法課の基本的な教義の一つをオウム返しにしています。これは化学者としては珍しい視点ですが、ガットフォセはいろいろな実験から、製油の個々の成分は、その全体を含むエッセンスほど有効でないことを、すなわち「全体はその部分の総和よりも大きい」ということを発見していたのです。
1928年、ガットフォセは最初の著書『芳香療法(アロマテラピー)』を出しました。それにひきつづいてガットフォセは、精油を用いる療法に広く関連する数点の科学論文および何冊かの書物を世に問います。この著書は人々の関心を非常に集めましたが、第二次世界大戦のせいでその熱はすっかりといってよいほど冷めてしまいました。戦後のフランスでの研究は、ガットフォセの会社自体の研究も含めて、芳香療法の原理を大部分忘れてしまったかに見えます。
しかし、すべてがすべて忘却の淵に沈んでしまったわけではありません。もう一人、別のフランス人で、今度は医師ですが、この人物が長年にわたってこの技術を再建するために努力し続けています。
医学博士ジャン・バルネは、薬用植物を治療に使うことにずっと関心を寄せてきましたが、ガットフォセの著書に示唆されてのことでしょうが、治療にエッセンス類を使用しはじめました。大戦中にバルネは戦傷の治療に用いましたが、すぐにガットフォセと同じように、是が巨大な可能性を秘めた療法だと気がつきました。
それ以来、バルネ博士は多くの症状の治療にエッセンスを使っています。博士は数多くの論文を発表し、さらに1968年に、はじめて著書『芳香療法(アロマテラピー)』を出しました。現在、芳香療法がはっきりした資格のある療法として世に認められているのは、まったくといってよいほどバルネのこの著作のおかげです。
イタリアも、芳香療法の分野で注目すべき人々を何人か生んでいます。1920年代と1930年代とにそれぞれ研究を行ったガッティー博士とカヨラ博士の名前は、特に言及に値します。両博士の業績は、製油の薬としての特性、心理面への特性から、それらをスキンケアに使う方法にも及ぶものです。
ミラノの植物誘導体研究所所長のパオロ・ロベスティーは近年、方向療法の価値の高い多くの貢献を行っています。ロベスティーの業績の大半は、イタリア固有のかんきつ類、ベルガモット・レモン・オレンジの各精油ならびにそれぞれの脱テルペン体に関するものです。
バルネ博士がエッセンスの研究をしていたのとほぼ同じ時期に、モーリー夫人も博士と同様な、しかしいっそう正統的でない研究を進めていました。モーリー夫人は医師ではなく、生化学者で、エッセンス類を内用するように支持することには確信がもてませんでした。夫人の関心は医学面だけに限られるものではなく、化粧の分野にも及びました。夫人は治療上でも、また化粧の目的にも役立つ外用の方法を探究したのでした。
より科学的なガットフォセの手法を受け継いだ夫人は、マッサージに基づく医粧療法(メディコ・コスメテイツク・セラピー)の基礎をつくり、芳香物質を肉体面、精神面に、また化粧の面に働かせる方法を徹底的に研究しました。1961年、何点かの論文を発表した夫人はさらに『大切なもの――若々しさ(ル・キャピタル――ジュネス)という本を著しました。
1962年にモーリー夫人は自然スキンケア方の分野での寄与に対して美容学・化粧品学国際賞(シデスコ賞)を授与されましたが、古代インド・中国・エジプトについての知識に基づくところが大きい夫人のこの著書が、夫人のこの方面への貢献とそれが伝えるメッセージをはっきり実証しました。この書物が刊行されたことについて述べたある記事は、こう指摘しています。
「この分野の知識を主として探求しているフランス・イタリア両国の研究者たちは、少なくとも人間の肉体というものを、多かれ少なかれ『試験管(イン・ピトロ)』のテストの単なる代替物とみなし続ける人々よりは想像力が豊かである。」