アロマテラピーと人物(14世紀~18世紀)

14世紀~18世紀

エリザベート1世エリザベート1世(1305~1380年)

14世紀、ポーランド王女でハンガリー王カーロイ1世の王妃エリザベート(エルジェーベト Elisabeth)Ⅰ世は、若くして夫を亡くしハンガリーの君主として長きにわたり善政を敷いていました。

しかし、晩年になった時手足の痛み(痛風やリウマチなどの説)に襲われ、政務もままならない状態になってしまいます。

そんな時、これを心配した修道院の僧が王妃のためにローズマリーなどを主要原料として作った痛み止め薬を献上したところ、状態がみるみる良くなりました。

そればかりか、70歳を超えた王妃に隣国ポーランドの王子が求婚をしたことから、のちに「若返りの水」と評判が立ち、ハンガリー王妃の水(ハンガリアンウォーター)と呼ばれるようになりました。

ただ、実際にはハンガリアンウォーターの誕生にハンガリー王妃が関わっていたという歴史的な根拠はなく、商品の箔付けのために後付けで創作されたエピソードとも言われています。

大航海時代(1380~1600年)

1502年に描かれたカンティーノ平面天球図14世紀~16世紀に入り、航海技術の発達や羅針盤の改良により遠洋航海が可能になると、当時大きな力を持っていたスペインやポルトガルなどの国々は、新しい領土の発見と香辛料を求め航路に出る、大航海時代が始まりました。

肉の保存や味付けに不可欠な香辛料は重宝され、胡椒などは1粒が同じ重さの銀と交換されるほど高価でした。

他国の珍しい植物を求め「プラントハンター」と呼ばれる植物採集家たちが航海へと旅立ち、その際に画家とペアを組んで「ボタニカルアート(Botanical Art)」を本国へ送っていたのですが、のちにイギリスやフランスで大流行しています。

ジョン・ジェラード(John Gerade 1545~1612年)

ジョン・ジェラードイギリスの植物学者、床屋外科で、植物学に興味を持っていたことから、ロンドンのホルボーンに薬草園を開きました

植物の知識を増やすために、船医になっていたこともあるようです。

1597年には『本草書または植物の話』(The Herball or Generall Historie of Plants)を出版、1,480ページに及ぶ大著で、ジョン・ジェラードの薬草園から南アフリカに至るまでの膨大な植物を木版画の図版入りで掲載しました。

この『本草書または植物の話』は、「分類学の父」と称されるカール・フォン・リンネに、イギリスやヨーロッパの本草学の時代における代表的な著作であると評価されています。

ジョン・パーキンソン(John Parkinson 1567~1650年)

ジョン・パーキンソンジョン・パーキンソンは、チャールズ1世に仕え「王室主席植物学者」(Botanicus Regis Primarius)の称号を与えられた、イギリスの薬剤師、植物学者、博物学者、造園家です。

1640年に執筆された『広範囲の本草学書』(『植物学の世界』)は、新大陸へ移住者とともに渡った書物として有名です。

他にも、ジョン・パーキンソンの著書で、植物の正確な栽培法と造園ノウハウが詰まった『日のあたる楽園、地上の楽園』も有名です。


ニコラス・カルペパー(Nicholas Culpepe 1616~1654年)

ニコラス・カルペパーイギリスのオクリーに生まれ、イギリスのケンブリッジ大学に入学後、薬種屋の仕事を行いました。

薬草や医学の知識を身に付ける一方、『The English Physician』を著し、当時の医者を批判して「医師だけが病気を治すのではなく、自らの健康は自らが守る」ことを主張しました。

『The English Physician』では、薬草は太陽や月などの惑星の支配を受けると論じるなど占星術も取り入れてあるのですが、ニコラス・カルペパーは当時の占星術の大家であるウィリアム・リリーと交流がありました。

ウィリアム・リリーは、「占星暦(アルマナク)」を出版、ピューリタン革命時に議会派勝利を占ったほか、その後の王政復古などの動乱も占いでうまく乗り切っています。

フェミニス(Feminis 1660~1736年)

ジョヴァンニ・パオロ・フェミニス17世紀末、イタリア人のジョヴァンニ・パオロ・フェミニス(Giovanni Paolo Feminis)は、ドイツの町ケルンに移住し、最古の香水と言われる「オーアドミラブル=すばらしい水」を売り出して大好評を収めました。

上質のアルコールとベルガモットなどの柑橘系を中心とした精油で処方されていましたが、現在のような香水の使われ方ではなく胃薬などの医薬品として扱われていました。

オーアドミラブルは「ケルンの水」のニックネームで呼ばれるようになりましたが、この同名のフランス語への読み替えは、1742年に登録商標となった「オーデコロン」として有名です。

のちに、ケルンの町を占領したナポレオンがケルンの水をとても気に入り、戦地に赴く時に兵士へ配って士気を高めたり、フェミニスの一族をパリに呼び寄せてフランスへ広めたと言われています。

関連記事

  1. 精油のノートとブレンド
  2. 精油を安全に使うために
  3. 精油(エッセンシャルオイル)一覧
  4. ハーブの香りの効用一覧
  5. アロマテラピーと人物(19世紀~)
  6. 精油の成分一覧
  7. アロマテラピーのメカニズム
  8. 嗅覚と大脳辺縁系
0 0 votes
記事の評価レート
通知
更新通知を受け取る »
guest
0 コメント
Inline Feedbacks
View all comments

ハーブの不思議な話

おすすめ記事

【ハーブ7選】初心者でも育てられるハーブをランキングで紹介

育てやすいハーブとは「ハーブを育てる」と聞くと、なんだか丁寧に育てないといけないような印象を抱き…

カモミール Chamomile ~甘いリンゴの香り、抗アレルギー~

【学 名】Matricaria necutita、Chamaemel…

ハーブと野菜を一緒に植えるコンパニオンプランツ

コンパニオンプランツとは ハーブを単独で楽しむのはもちろんなのですが、ハーブ類と野菜類をうまく組…

ハーブとは何か

ハーブとは何か地球上の、山や森、野の草、緑の芝生、花壇の草花、熱帯雨林にある植物……。 いっ…

アロマテラピーのメカニズム

精油が心身に作用する経路アロマテラピーで精油(エッセンシャルオイル)を利用すれば、私たちはリ…

人気記事

  1. (公社) 日本アロマ環境協会アロマテラピー検定
  2. 【ハーブ図鑑】ハーブの名前や種類、育て方、効果・効能
  3. 精油(エッセンシャルオイル)の抽出方法

記事ランキング

カテゴリー

おすすめ記事

  1. ポプリとその歴史
PAGE TOP
0
質問やコメントをどうぞ!x